2021
05.22

ジャングルファティーグ 3rdパターン(サードパターン)

Vietnam

サードパターンと呼ばれるタイプは、生地のみファーストセカンドと同じノンリップポプリン製ですが形状は隠しボタン、ウエストタブやエポレットなしで前合わせの内側のガスフラップもない最終タイプです。当時実戦で使用されたものも含めて紹介していきます。

同じ形状で生地がリップストップ(破れが広がらないよう縦横に一定間隔の補強糸が入ったもの)になるとフォース(4th)パターンです。

こちらは1967年の空軍少佐のものです。

こちらも空軍のものでコマンドパイロットの大佐のものです。大佐の階級章はローカルメイドの手刺繍で、地色がカーキで非常にかっこよいです。フロリダで友人が入手したもので、おそらくこちらのパイロットの方のものと思われます。

空軍のものが続けて入ってきましたが、こちらは身幅を詰めてボディ部分をスリムにしてあります。空軍の大尉のもので、メディカルの徽章があるので医官のものかと思いましたが、よく見ると杖と蛇の医療マークの後ろにアラジンのランプが見えます。これはナース(看護婦)のもので、ナースの将校のもののようです。スモールレギュラー 1969年のものです。

DSA-100 4650の1966年のものです。未使用品でラベルもきれいな状態です。

第9歩兵師団の軍曹のものです。パッチは黒の部分がベルベット生地のローカルメイドで、ネームテープARMYテープもローカル製です。袖に特技兵のパッチが付いていた跡があり、軍曹になった際にレギュレーションの変更もあり襟の金属章に付け替えています。金属章も薄っぺらいローカル製でキャッチはベトナムでよく見られるプラスチックの外れやすいものです。1966年のものです。袖のボタン止め部分がストレートでなく、このように三角形の布で折り込むようになっているのも4thパターンとの違いの一つです。

この第2フィールドフォースベトナムのジャケットはARMY/ネームテープを付け替えた跡が残っています。ジャングルファティーグが導入された当初、テープをつける角度については明確な規定がなかったようですが1968年には地面と平行につけるよう規定されました。ところがその翌年1969年にはポケットの傾斜に合わせて斜めにつけることが規定されました。野戦服については使用中にわざわざ付け替えることはあまりないためどちらの角度のものも混在する形になりました。

第1信号旅団のベルベット製ローカルパッチが付いています。名前が日系の方のものになっています。サイズは小さいXS-Rでした。

これは初期のサードパターンで、セカンドパターンの特徴が一部残っているものです。背中は1枚布で、ラベルもセカンドに近い表記です。DSA-100-2113で1965~66年のものと思われます。

   

元ベトナム従軍者の機甲兵科の大佐の家族から出てきたもので、以前ユーティリティーをまとめて購入した方のものです。その後から昔の衣類が見つかりました。まだ色々出てくると思います。中佐時代のものでMACVのツイルパッチの上にローカルメイドのレンジャータブが付いています。所属師団が無いのでおそらく南ベトナム軍のアドバイザーとして勤務していた時のものと思われます。DSA-100の後に4桁のナンバーです。

 

1969年のエアポリスのものです。空軍は半袖にカットされたものが多いです。

第18憲兵旅団の伍長のものです。かなり使い込まれています。旅団パッチとARMYテープは手刺繍、階級パッチはベルベットのローカルメイドです。ミディアムレギュラーサイズですが、脇を詰めてスリムに改造されています。脇と袖の付けの糸が褪色して白くなっていて、裏のまつり縫いが無く折り込んで縫われています。1967年製

第1騎兵師団のスペシャリスト(特技兵)のものです。当時M60機関銃の射手などがこの特技兵徽章をつけていました。ARMYテープの上のCIB章とジャンプウィングはセンター合わせで着用する決まりですが、このジャケットは右端を合わせています。XS-Rという小さいサイズの為、襟をはだけた時CIBとジャンプウイングが隠れてしまわないように工夫したようです。DSA-100-2443 66年頃のもので、背中は1枚布です。

 

第9歩兵師団の軍曹のものです。DSA-100-4257のナンバーで1966年ごろのものです。サイズタグは外れていますがXS-Sと思われます。カラーのパッチが目立つためにベトナム戦争前半で支給されたツイル生地のカットエッジのSSI(師団パッチ)と軍曹階級章が付いています。階級章はしわが寄ったままだったり、縁のラインを外してしまった状態で縫い付けられています。このような実戦用のパッチは、駐屯している基地の近くに必ずあったミシン屋でつけてもらうことが多く、そこで現地製のパッチ類も販売していたそうです。ARMYテープは現地の手刺繍、ネームテープは放出の際に外されています。

第1航空旅団第201航空中隊(通称レッドバロン=WW1のドイツの撃墜王リヒトホーフェンの機名からとった名称)の隊員の方のものです。ネームテープとウイング、襟の階級章は外されています。第1航空とARMYテープは手刺繍です。ポケットの201縁中隊のパッチはコットンツイル生地に刺繍で、周囲をトリミングしてあるものです。胸ポケットの内側の縫い目を外して縫い直した跡があり、通常この場合ポケットの裏にミシン台を通してポケットが使用可能なようにパッチを縫いつけるのですが、なぜかこのジャケットは服の裏地まで貫通させてパッチを縫い付けてあり、右胸ポケットは使えなくなっています。肩のストラップ(エポレット)はあとで追加されたものです。レッドバロンは60年代後半ニャチャンに駐留していました。

 

173空挺旅団の支給品ツイルパッチのついたジャケットです。ジャンプウィングは手刺繍のものです。通信兵科の少尉か中尉の方ですが、階級章とネームテープは外されていました。DSA-100-4360

左袖にローカル刺繍のMACVサブデュード、右袖のコンバットパッチはUSARVN(在ベトナム米陸軍)のベルベットタイプです。襟の兵科章と階級章は外されていますが、将校のものと思われます。師団に所属していないこのような組み合わせはアドバイザーのものであることが多いです。DSA-100-7346

第23歩兵師団隷下の第11歩兵旅団の兵士のものです。カラーパッチの組み合わせで、第23歩兵師団パッチはカットエッジ、第11歩兵旅団のポケットパッチはメロウドエッジです。CIBがゆるく縫われた手刺繍です。ARMYテープはナイロンの柔らかいタイプですが、縁の部分は折れ曲がっている部分も直さずそのまま縫い付けています。ポケットパッチも貫通縫いの為右胸ポケットは使えなくなっています。CIBとネームテープは1作業で縫われ、表の糸だけカットされていて裏に大量に余り糸が残っています。DSA-100-4082

199歩兵旅団の手刺繍パッチが付いた医療兵科大尉のフルパッチのジャケットです。ARMYテープ以外は全て手刺繍で、ARMYテープも現地で作られた文字が傾いたタイプです。下にこの方のリストをつけますが、General medical officerとなっています。主席医務官のような役割と思われます。

第1騎兵師団のスタッフサージャントのものですが、右胸に手刺繍のMACVリコンドースクールパッチが付いています。当時ベトナムで行われたRECONDOの教育課程修了者であることを示しています。師団パッチとその上のAIRBORNEタブはカットエッジです。胸のポケットパッチはポケット貫通縫いではなく、一度ポケット側面の縫い目をほどいてパッチをつけた跡、縫い直した跡があります。

特殊部隊軍曹のものです。背中に名前が書かれています。DSA-100-2113の3枚タグのものです。

こちらはパンツです。1967年のものです。

 

こちらも67年のものです。一度脚部分を細見に改造した跡があります。縫った部分を開いて元に戻してあります。

こちらも1967年のもので、やはり股の内側を縫い直して細身にしてあります。

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