About us(ミリタリアとは? ベトナム軍装店からミリタリーショップ開業まで)

“ミリタリア アドバイザース” militaria advisorsは造語です。

ミリタリーアドバイザーは軍事顧問のことですが、
“ミリタリア”は軍にまつわる骨董品を意味しています。この趣味に新しく入ってこられた方にミリタリーアンティークのアドバイスをしていき、またコレクターの方からアドバイスをいただきたい、という思いでこのホームページを作りました。

私は2004年から、アドバイザースというベトナム物中心のミリタリーショップをWEB上で運営していました。*現在販売はヤフオク上のみで行っています。

昔アメリカでミリタリーショップを経営していた友人たちが現地の元従軍者やその家族などから仕入れてくれたものを売っているので、1次大戦から1980年代頃の米軍のアイテムを中心に扱っています。古いものに興味があるので現用(2000年代以降)の軍装品はあまり扱っていません。コレクター歴も販売歴もそこそこありますが、まだまだ初めて出会うものや存在自体知らなかったものが多く、その度にお客さんから教えていただいています。

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これまで会社勤めの傍らこのショップを運営していましたが2021年末に退職し、ミリタリアアドバイザースの運営に集中していきます。

 

私はショップ開店以前から、イベント等でミリタリーアイテムの販売を行ってきました。
ショップを始めるまでの経緯を書いていきます。

きっかけ

もともと戦車や飛行機のプラモデルには興味があったのですが、小学校4年の頃に6歳上の従兄に連れられて毎週のように御徒町のMGCボンドショップや中田商店に通っていました。そのころ従兄の家にあったプラスチック製のドイツ軍レプリカヘルメットをやっともらえて喜んでいるときの写真です。写真の縁を見ると1976年のプリントでした。

当時MGCの修理カウンターのお兄さんたちがとてもかっこよく、あこがれていました。ちょっとした調整は見ている前であっという間にこなしてしまい、終わると銃を半回転させてお客さんに渡す手際が最高でした。アルバイトさんだったのでしょうか?

1970年代末のことです。
父の友人がハワイに住んでいた関係でハワイに家族旅行に行くことが出来ました。

その時泊まっていたイリカイホテルからすぐのところに陸軍博物館があり、ビーチなどにはいかず滞在中毎日そこに通っていました。
水着やアロハを着たアメリカ人たちがうろつく中で、まったく場違いな戦車や榴弾砲が並んでいて強烈な印象でした。

博物館の規模は小さかったのですが、その売店がものすごくて
ナチのヘルメットや米軍の2次大戦装備、衣類、ダミーカートリッジ、徽章類など
実物の軍装品がガラスケースに並べられ、大量に売られていました。
あとで友達に話しても、「まさか博物館で所蔵品は売らないだろう」
と信じてもらえなかったのですが、たしかにそこでお土産に20mmと12.7mmのダミーカートと装備品を数点買って帰ったので夢ではないと思います。
ドイツ軍のヘルメットは$25前後で、へこんだり穴が開いた当時のペイントのヘルメットが積み上げられていました。ジャケット類や勲章など全体的に非常に安かったと思います。

その数年後、中学生の時にハワイに訪れた時は博物館の売店は無くなっており、あまりのショックで
父に頼んで博物館の人に売店はどうなったか聞いてもらった覚えがあります。
するとすぐそばにミリタリーショップがあることを教えてもらい私の中では、売店が外に移転したと思っていました。

ショップの名は「Military Shop of Hawaii」でこちらも当時日本では見ないような各国の軍装品がたくさん売られていて、2次大戦のドイツやイタリアの銃剣が30~40ドル、2次大戦の各国ヘルメット類が30~50ドル。ポルトガルのリザード迷彩服やローデシアの迷彩服など、なんでこんなものがここにあるのか?というような品ぞろえでした。
私はM79の40mm練習弾とナチの徽章類、1次・2次大戦の米軍装備や当時出たばかりのソルジャーオブフォーチュンという雑誌を買った覚えがあります。もう一つ円形の水筒カバーが未使用の状態で安く売られていたのでそれも買いました。店員にこんなに古いものを本当に買うのか?と何度も聞かれたのを覚えています。店員は皆白人でしたが、英語のしゃべれない日本人の中学生に対してもフレンドリーで丁寧な対応をしてくれて感謝しています。

 

ハワイ滞在中、1日に2回はここに通っていてせっかくハワイに子供を連れてきたのにほとんど軍装品店に居られて、親も呆れていました。

この店もそれほど長く続かず、さらにその数年後にはその場所が空き店舗になっていました。

今も博物館は同じ場所にありますので、時間があったら寄ってみてください。
ワイキキのホテル群から少しアラモアナショッピングセンター方向に歩いた芝生に囲まれた静かなエリアで、ビーチもすぐです。売店はありますが、軍装品は一切なくオリジナルプリントのTシャツやカレンダー、戦車や飛行機のプラモデルなどが売られています。

 

中学生の頃のアメリカ旅行

また父に連れられ
今度はサンフランシスコとロスアンゼルスに行く機会がありました。
1970年代の末頃だったと思いますがあちらでどうしてもミリタリーショップに行きたくてでも、実際にお店の場所を探す手段が無く
日本の軍装品店さんに汚い字で「アメリカのミリタリーショップを教えてください。」と手紙を出しました。

結果は…
当然返事無しがほとんどでした。

ところが。
ひとつだけご返事をくれた店があり仕入れ先に使っているところは教えられないが、ガンショップやサープラス店のあるストリートなどを丁寧に紹介してもらえました。

紹介されたサンフランシスコのガンエクスチェンジに行ってみると、軍用ライフルが99ドルで店の中央に中古ゴルフクラブのように、100丁ほどずらりと並んでいて自由に手に取ることが出来ました。
38式、99式、エンフィールド、Kar98など2次大戦で使われた使い込まれた小銃が大量に売られていました。

壁に軽機関銃や対戦車ライフルも飾られナイフなどは自由に買えました。

やる気のなさそうな制服警官が店内に何人もたむろしていて銃を眺めたり、店員と銃談義をしていたのが印象的でした。

そのうちの1人とうちの父がすれ違いざまぶつかってにらみ合いをしたのでかなり緊張したのを今でも覚えています。

この銃のデパートのような大型店は、その後カリフォルニア州のガンコントロールが厳しくなり閉店したと聞きました。

イエローページを使ってショップさがし

サンフランシスコに着いて、まずやったのはイエローページめくりでした。
当時はアメリカでもインターネットやパソコンなどはなくほとんどのホテルに分厚い黄色い紙の電話帳がありました。
まだ公衆電話が沢山あって(半分くらいは壊されてました)それぞれの電話の下の棚にもイエローページという電話帳がありました。

探し方にコツがあって、例えば自動車ディーラーや、カーパーツを探すにはautomobileで探します。
car shopでは見つかりません。

ミリタリー、サープラスショップでいくらさがしても本当の軍の施設やオフィス向けの機材払い下げ会社しかなくアーミーネービーストアというコーナーにまとめて掲載されていました。

当時はデジカメもなく、コピー機を借りるところもなかったのでひたすら住所と電話とFAX番号をメモってJALシティガイドという日本語版の市内地図と現地の地図をみてディーラーの場所の検討をつけて朝から徒歩で探し回りました。

サープラスショップはダウンタウンに多く道に酔っ払いが座っていたり、意味もなく路上駐車の車の中を覗き込む人などがいてかなり治安が悪い感じがしました。
ダウンタウンなので安売り衣料店も多く今では貴重なリーバイスのジーンズが山積みで、日本の1/3くらいの価格で売られていたのを覚えています。そこで29.95セントの501を買って履きつぶしましたが、今まで使わないでしまっておいたら3万円ぐらいになっていたんでしょうか?

あとで現地ガイドに子供が一人で歩く場所ではないと父親が注意されていましたが
父親が「これも勉強のひとつだ。怪我をして学ぶこともある」
と言い返していました。

こうしてガラクタ屋さんの中から本格的なミリタリーアイテムを扱う店をピックアップし帰国後手紙やFAXで取引を始めました。
別の記事に書きますが、アメリカのサープラスショップ全盛期は1950~1970年代で、このころはその末期だったと思います。
その後連絡を取っていた店も次々に廃業していきました。

レンタカーで店さがし

中学生の頃、父と一緒にサンフランシスコに行ったときはタクシーと徒歩で街を回りましたが、そのあと家族でロスアンジェルスに行く機会がありその時は、さすがに父に頼んで一日レンタカーで店探しをしました。
80年代の頭の頃でした。

ロスはサンフランシスコと違って完全な車社会で街に歩いている人が少なく、また徒歩は危険と言われていました。
当時ナビは無いので、事前にイエローページや日本の雑誌で仕入れた情報をもとに英語の地図と日本語の地図を見比べながら店を回りました。

基本的にサープラスショップはダウンタウンや倉庫の多いエリアにあり、ロスの繁華街ではないエリアばかりでした。
店の前に路上駐車するのにも車上荒らしが怖いと父が言っていました。

店主は白人の太ったお爺さんというのもお決まりで、商品選びに迷っているとよくアクビを連発していました。
でも、日本人の親子連れの客は珍しかったのかあまり差別も受けず、フレンドリーに対応してくれる店主が多かったです。

この時買ったものは当時は最新の車両搭乗員用のノメックス生地のジャンパーSRU21/Pサバイバルベストナイフ各種と小物類、それにミリタリー関連の雑誌類でした。
当時小さかったので、衣類はXSサイズがあるものを買っていました。

アメリカの雑誌広告で仕入れ先探し

アメリカのサープラスショップ巡りをするなかで必ず買っていたのが雑誌でした。

当時(1970~80年代)はアマゾンはもちろん、WEBサイトも無いので海外の雑誌は貴重(というより存在自体も知らない)で英語がほとんど読めなかったのですが珍しいので買って眺めていました。

日本に帰って、じっくり見るうちにその中に面白そうな通販広告があるのに気づき日本に売っていないものや、驚くほど安いものがあって
日本から通販で買えないものかと考えました。

当時は個人輸入とかメールオーダーといったものが一般の人にはなじみなく、国内の通販でさえ「通販は良くない、危ない」といった
マイナスのイメージが強かったです。

しかしどうしても欲しい気持ちに勝てず、封書にオーダーを書き、「日本までの送料を教えてほしい」と、習いたての英文で何とか書いて送りました。
するとどのショップからもちゃんと返事が来て総額を教えてもらえました。

日本から送金する方法は
①銀行振り込み
②郵便局からの送金
③直接現金を郵送
などがあり、
別の機会に書きますがそれぞれデメリットがあるので大変苦労しました。

また、時代が進むとFAXでのやり取りもできるようになり
夜中に家の電話が鳴ったと思ったら海外からのFAXだった、
ということがしょっちゅうありました。

例えば1970年代後半は
ソルジャーズオブフォーチューン(SOFマガジン)
という雑誌が発刊されたころで


(表紙デザインもカッコよかったです。)
この雑誌は本物の傭兵向け雑誌で、編集者も
元傭兵や関係者などという物騒な本でした。

記事は本格的でしたが
広告は、武道具やミリタリー衣類、
マニュアルやサバイバルグッズなど
一般人が買えるものが多く実際輸入もできました。


SOFマガジンのBrigade Quarternaster社の広告です。
今は有名な通販企業ですが、1975年創業で当時は個人の小さなショップでした。

中休み

1980年代は高校に入り一時期ミリタリーからは疎遠になりましたが、高校の同級生が家に遊びに来たとき昔買ったモデルガンを見せたところえらくハマり、私も彼の影響でまたモデルガンを何丁か買いました。

私が最初に買ったモデルガンは(小学生のころですが)金属製のMGCのチーフススペシャル、次にいとこから買ったCMCハンドエジェクター、CMCブローニング380等でした。その後黒のプラスティック製が主流となりMGCのハイウェイパトロール、国際産業のハイウェイパトロールなどを持っていました。
そのころはマニアだった従兄にくっついて御徒町に通っていましたが、中田商店さんも変わらず繁盛しており当時タイガーストライプの小さいサイズのジャケットが1着2500円で
ボロ着のようにして大量に売られていました。

その後、7~8年間は部活や、バイクの免許、車の免許など他の遊びに忙しくてミリタリーからは遠ざかっていました。1990年代にかけて、日本はバブルといわれる時代に入っていきました。

そんな中でひとつ覚えているのが、1990年代初頭(私が22~23歳のころ)のフリーマーケットでの出来事です。

当時最大規模だった代々木公園のフリーマーケットに時々出店して、実家にあった衣類や雑貨を売っていましたがたまたま昔集めていた2次大戦~ベトナム戦争頃のポーチやベルト10点余りを持っていったことがあります。

するとこれまで若者やおじさんおばさんなどの客層とはあきらかに異質の、中年のマニアっぽいおじさんたちが群がり、あっという間に全ての商品が売れてしまいました。

思えば、この時が初めて売った軍装品を売った記念の日(笑)となります。

買われた方は喜んでくれていろんなお話をしてくれましたが、私が子供のころからコレクションしていた思い入れのあるアイテムなので少し残念な気がしました。この感覚はコレクターの方にはよくわかると思います。今は私も小さいディーラーとして商売させていただいていますが、この残念な気持ちがあると、いいアイテムは手元に残しておき悪いものから売っていく癖がつきます。

そうするとお客さんから見抜かれてしまうことがわかり、今は割り切って貴重なコレクションがそれを欲しがっているコレクターさんのところに渡ったらそれが幸せ、という風に思うように考えるようにしています。

文字だけのカタログでの仕入れ

1990年代に入り雑誌の広告から手紙やFAXで海外のショップからメールオーダー(通信販売)で買い物を始めましたが、そうするとそのショップからカタログが送られてくるようになりました。

カタログと言っても、写真やイラストの一切無い「在庫リスト」のようなものがほとんどで、アイテムが何百、何千とならんでいて
そこからアイテムを想像し、コンディションを予測しなくてはなりませんでした。

当然、想像と全く違うものが届くこともありましたが海外送料を考えると、返品はできません。

当時私は中学生で、コレクターとしてこれらのカタログを何週間もかけて熟読していましたが、その後大人になってディーラーとして仕入れる際もこの熟読する体質が役に立ちました。

ちょうどそのころからインターネットが普及しアメリカではミリタリーを扱うWEBショップがちらほら出てきました。

こちらは実際にあったアメリカのWEBショップの1990年代のカタログです。

こんな感じでズラーっと商品名が数千点並んでいます。
クリックしても、それより詳細な説明はなく例えば一番上のBelt.Indv,Equp,M1956はベトナム戦時のピストルベルトですが

あとの方には

こちらの一番下にあるようにBelt,Pistol,M-1956と表記が変わります。

Pocket,Magazine Rifleでは何の事だかわかりませんがM1カービンの15連マガジン用ポーチのことです。

このように、官給スタンプの表記とディーラーの癖を読み取ってオーダーするという変わった技能が身に付きました(笑)。

WEBショップの時代になっても
かたくなにこのリストスタイルのカタログで販売するのは概して在庫が多く、またどんどん物が入ってくるので
いちいち写真にとってアップするのが面倒、という仕入れルートが太いディーラーでした。

いまは、さすがにこのスタイルのディーラーは見かけませんが、1990年当時はそのようにして仕入れる力の強いディーラーを選んでいました。

こちらは99年ごろスタートしたBrooks militariaの過去ログです。
当時としては画期的な写真でしっかり商品を見せるWEBショップでした。(残念ながらトラブルのため現在はお店閉じられています)
https://web.archive.org/web/20000408043100/http://www.brooksmilitaria.com:80/Uniforms/uniforms.htm

今でもこれらのディーラーさんで付き合いの続いている方は多く、ショップは閉じていても独自の仕入れルートがあり、本物と偽物を見分けられるので非常に助けられています。

カタログオークションでの仕入れ

アメリカ、カンサス州のマニオンさんというコレクターが1970年代にビンテージもののカタログオークションを始め、その中にミリタリーカタログがありました。

それまで通販には慣れていたのでオークションもトライしてみましたが、日本から参加するにはハードルが高かったです。

■難しかった点は
・電話でなくFAXでオーダーする。(時差と語学力の問題)
・当たり前だが落札できるかわからない
・送料が向こう任せなので思ったより高い
・小さなモノクロ写真で商品判断するので、がっかりすることもある
⇒返品はほぼ無理

■逆に楽しかった点は
・カタログとして見ているだけでも楽しい
・ショップでは売られていないような個人コレクションが出品される
・ロット販売で売られているものがあり、届いたときの楽しみが大きい

当時、日本からの入札には
現地の日本人の女性担当者が対応していて
この方の対応がかなり横柄で、日本語も怪しかったのを覚えています。
Manion’sのルールから外れると、かなり厳しくしかられました。
武器類などは問答無用で向こうでカットなどの加工を行いドリルで穴をあけるのに50ドル、など加工賃が上乗せされてきました。
たまりかねて英語で社長さんに「あまりに担当者がひどくて日本からオーダーできない」
と直接手紙を送りました。
そのせいではないと思いますが、数か月後その女性担当者から退職のレターが来ました。

Manion’sは後にインターネットでもオークションを行えるようになりましたが、私はそのころには撤退していました。
90年代に入り倒産してしまったようですが、末期はトラブルが多かったと聞いています。

その後イーベイの時代に入ります。

Ebayを使っての仕入れ

余談ですが…
当時同様にManion’sを使われてい方々から同じような体験談を頂きました。ありがとうございます!
なんであの会社がつぶれたのかわかる気がしました。
いいアイテムが沢山あったのになぁ~
残念

Ebayの話に入ります。

1995年頃にアメリカのネットオークション”イーベイ”がスタートしました。
私がEbayを始めたのは1999年で(ちょうど日本のヤフオクが出来た年です)そのころからフリマの延長のような気分でサムズミリタリ屋さんのイベントでの販売を始めました。

イーベイの特徴は、
アイテムを陳列し入札するまではイーベイの中ですが一旦落札したら、後は売り手と買い手が直接交渉する。
というところで、マニオンなどのカタログオークションとは全く違った苦労がありました。

まず英語のやり取りを自分でする。
また、国によって取引の常識が違います。
さらに当時は悪質な参加者もいて、詐欺にもあいました。

それでも一般個人が全く別の誰かと直接売買する、というのは魅力的で、梱包の詰め物に現地の新聞・雑誌や、庭の松ぼっくりが入っていたりでアメリカやヨーロッパの雰囲気を味わえました。
そこからたくさんのコレクターやディーラーとつながることができました。

私も10年位前まではイーベイで海外向けに販売もしていましたが今はほとんど使っていません。

だんだん良い出物が少なくなった気がします。
また、私は仕入れ先として考えますので毎回1点づつ落札して、出品者とやり取りし送料を支払っていると完全に割に合いません。

2000年代初めにイーベイジャパンが出来て、日本市場進出を計りましたが残念ながらヤフオクに完敗で、撤退しています。また再上陸の話があるようですのでウォッチしています。

国を超えての個人売買は、言葉の問題より
1、文化の違いからくる交渉の難しさ
2、郵便システム・送料
3、通関
の3つの壁があり
自動翻訳ができたからOKというわけにはいかないようです。

時代は重複しますが転機となった1990年代のベトナム出張の話に続きます。

はじめてのベトナム出張

私が初めてベトナムに行ったのは1996年で日本航空さんの関係の仕事をしていました。
当時ホーチミンへは関西空港からしか行けなかったのが、その年から成田発が就航し
その第2便に乗りました。
第1便はマスコミやJALの関係の方ばかりだったようで、私の乗った第2便は旅行会社や商社など
まさにベトナムで仕事をする方たちばかりで、機内でエビの養殖や冷凍の話で盛り上がっていたのを覚えています。

JALのオフィスや、国営の旅行代理店、観光名所などを回りましたが
当時は社会主義色がまだ強く、ガイド兼監視的な方と常に一緒でした。
そのガイドさんも出張の後半には大分打ち解けてきて、お父さんが南ベトナムの将校で
そのせいで家族はだいぶ苦労したという話をしてくれました。

戦争が終わって20年たっていましたが当時はまだタンソンニャットも小さい旧ターミナルで
滑走路脇には軍用機用のハンガー(格納庫)やバンカー(砲弾除けの飛行機用の壕)が残っており田舎に行くといたるところにB52の爆弾による穴が池になって残っていました。

 

物乞いも多く、観光地に行くと必ず子供たちが群がってきてガイドさんが追い払っていました。

観光地といっても観光している人自体がほとんどおらず
またホーチミン市でも日本人の観光客は一人もいませんでした。

その時は仕事で訪れた一都市、といった感じで
ベトナムのミリタリーものにも興味が薄れていたので
出張から帰ってもあまり頭の中でミリタリーとつながるものはありませんでした。

きっかけはその数か月後、海外通販でカナダのショップからタイガーストライプのシャツやパンツを買ったことでした。
私が中学生のころには国内でタイガーストライプの実物を販売しているショップさんはほぼ皆無で
たまにコンバットマガジンに広告で紹介されていても非常に高かったのを覚えています。
お店で展示してあるものもきれいなものが多く、大きなサイズでアメリカ人が持ち帰ったものを日本に輸入したのだと思います。

そのカナダのショップは、例によって写真掲載のないリストだけのショップでしたが
タイガーストライプの衣類や米軍のリーフ迷彩の衣類が30ドル~70ドルぐらいと、非常に安い値段で販売していました。
かなり面倒なやり取りと手続きをしてカナダドルを送金してゴールドタイガー、タッドポールパターンなど
(その頃はこの呼び名はなく、ホームページにはライムグリーンにブルーストライプとか、グレー地にブラックのストライプというように記載されていたと思います)
10着ほどのタイガーが届きました。
どれも小さいサイスのユーズドでしたが実際に南ベトナム軍や、米軍の兵士に使用されいたもので
ネームテープが付いていたり、補修されていたりして、まさに昔見た本物の軍服であることを感じさせるタイガーストライプでした。

これらのタイガーを見たとき、ふとベトナムのことを思い出し
「現地に行けばまだ当時の軍服が残っているのでは?」と考えるようになりました。
そして90年代末に休暇を取って一人で3泊4日ホーチミンの旅に行きました。

その時現地の人に私が何を探しているかを伝えるために持参したのが先に紹介したBrooks militariaのホームページのプリントアウトでした。
これをカラー出力して大量に持っていき、現地でタクシー運転手、ガイド、シクロの運転手、市場の人などに聞き込みをしました。


先日書類整理していたら、20年前に持って行ったその時のコピーが見つかりました。価格は現地の人に見られたくなかったのでマジックで消していました(笑)。

ベトナムの街で軍装品募集

10人くらいの現地の人に、写真にあるような戦争中の軍隊物が見つかったら来てくれ、場所を指定し時間をずらして待ってみました。

当時は携帯を持っている人はほとんどいませんでしたし、家に電話がない人も多かったので(何よりベトナム語で電話で話されても全く分かりませんし)。

翌日集まったのが、ピストルベルト、ジャングルブーツのボロボロのもの、南ベトナムのベレー(市場で売っているレプリカ)のみでした。すべて買い取りましたが、ベレーは明らかに市場で買ってきたとわかるので、その人にはもう声をかけませんでした。

この方法を何日か続けると探せるルートを持っている人や、それに近い人が見えてきます。そこから別の人を紹介されて少ない確率ですがいいものを見つけるルートらしきものができてきました。

こう書くと簡単ですが、実際には3~4日の滞在を何度も繰り返し、ホーチミンのほかダナン、ニャチャン、ハノイ、ブンタウ、カントなどへも行き、数年かけてルートを作りました。当然何度も騙されたことがあり、旅行全体が空振りということもあったのでくじけそうになりましたが、たまに珍しいものが見つかるし食べ物もおいしいので観光のついで、と割り切っていました。

当時は戦争が完全に終了してから20数年ですから、日本でいえば昭和40年代後半(1970年前後)という感じでまだ戦争の記憶が残っている時代です。
バイクタクシーやシクロの運転手は元南ベトナムの軍人だった方が多く、少し英語が話せる方からは若いころの訓練の話、戦争の話、戦後の話を聞くことが出来ました。
南ベトナムの軍人は戦後すぐに北ベトナム側の教育キャンプに入れられ、思想教育を受けさせられ兵卒だと1~2年の短期間だったが位が高くなるにつれ教育期間が長くなり将校だと5年近く帰ってこなかった方もいたそうです。

ヤンシン市場

ウォーマーケット、でもチョーヤンシン(チョーは市場の意味)、でもタクシーやバイクタクシーの運転手に言うと観光名所なのですぐに理解して連れて行ってくれました。はじめに行ったときは、ミリタリーを扱うショップが10数店あったと思います。ざっと見て店にあるものの2~3割が実物、それ以外はレプリカ品、ベトナム以降の米軍物、ロシアなど他国のもの、軍とは関係ないものが置かれており、猛烈な湿気と暑さに耐えられれば何時間も居座って店の在庫をじっくり見れば買える時代でした。実際にそうやって買っている白人のディーラーやコレクターもいました。

ここでも例のカラーコピーの資料を見せて聞きまわったところ、1つだけ南ベトナム海兵隊タイガージャケットの改造、補修がかなり激しく施されたものが見つかりました。サイズも小さく色は褪色していましたがパターンは間違いなく海兵隊ファーストでした。

これでがぜんやる気が出て、ほかの店も回りましたがその日の収穫はそれ1点でした。

あまりの湿気で気分が悪くなり、外をふらふらしているとき1軒、外に軍服やリュックを並べている小さな店がありそこでタイガーの件を聞いてみると、その店の奥からフィールドポリスの迷彩服と

ジョンウェインデンスパターンの(JWD)タイガーが出てきました。このタイガーいい色だったのですが、結構な価格(といっても日本やアメリカの相場よりはだいぶ安い)だったので迷いが生じフィールドポリスだけ買って帰りました。翌日やはり欲しくなってその店に朝一番に行きましたがすでに売れていました(笑)

 

この時代(2000年前後)はベトナムのそこここに戦争中のアイテムがあふれていて、交渉の為店先にいる間にライター、徽章、写真、衣類、装備品などを見つけて売りに来る現地の人がたくさんいました。同時にこの頃からレプリカが組織的、本格的に作られ始めたようです。

アメリカやヨーロッパのディーラー複数が毎月のペースでベトナムに訪れており、あるディーラーはアルバイト的な方をベトナムに常駐させて常に出物を探しまわっておりまさにラッシュ状態でした。

 

信頼できるディーラーとの出会い

はじめての買い付け旅行では、実物の南ベトナムの衣類が数点、ジッポーライター10個くらい、ワッペン類と南ベトナムのベレー10点ほど、空挺などの部隊フラッグ(大きな旗)を数点購入しました。当時は南ベトナム軍の知識がほとんどなかったのでベレーとフラッグはレプリカだったことがあとでわかりました。

その時のディーラーは「本物かどうかわからない。」と言っていました。

ベレーが1つ25ドル、フラッグが35ドルぐらいだったのでいくら1999年頃でもさすがにレプリカの価格なので、腹も立ちませんしレプリカとしてミリタリーショーで販売したらよく売れたので気にもなりませんでした。

その数か月後またベトナムに訪れ、だんだんと信頼できるディーラーとそうでないディーラーがいることがわかってきました。その場で買ってもらえなくても、長い期間商売をしていく中で少しずつ儲けていこうとする人と、その場でうまいことを言って出る限り儲けて、あとは知らんぷりという人の違いでしょうか。

最初の印象が良かったディーラーさんとは20年以上たった今でも付き合いが続いています。

そのほかにサイゴン市内にレコンキエウ通りという路地があり、そこに骨董品のショップが並んでいます。今も骨董品を売っていますが当時はミリタリー物が多く混じっていて、本物のライター、徽章、ポケットナイフ、ドッグタグなどの小物が売られていました。その中の1軒の店主と仲良くなり、通っているうちに家に案内され店に出していない古いアルバムやライター、軍の証明書などを売ってもらうようになりました。

その後、毎年4回はベトナムに通うようになり、逆にアメリカからの仕入れはほんのわずかになりました。

 

本物と偽物の見分け方

ベトナムでの仕入れの特徴はアメリカのそれと違って、現物を手に取ってみて買える。というメリットがあり「コンディションが思ったより悪かったとか、自分の考えていたものと違うものだった」ということは無くなりました。そのかわり様々なレプリカとの戦いとなりました。

南ベトナム軍のアイテムは、1980年代頃からアメリカでも熱心なコレクターが増え自費出版の資料や本なども出されるようになったため価値が上がり価格も上がっていました。当時の米兵が持ち帰ったパッチ、メダルや装備品などは数が少なく希少でしたが、90年代のベトナムにはまだ倉庫や縫製の工場などに大量に残っていることがありました。それらが売れてしまうと、今度は現地で本物に似せたレプリカが出回り始め、そちらが主流となっていきました。

南ベトナムに関してはほぼ素人の状態でレプリカとの戦いに参加することになりました。はじめは全て現地のディーラーや友人に「これは本物ですか?」と聞いていましたが、5年後には逆に現地の方々から「これを入手したのだが本物と思うか?」と聞かれるようになりました(笑)。自分なりの習熟方法?を紹介します。

・・・と言っても先日LLDB(南ベトナム特殊部隊)の偽物ベレーを高値で買ってしまったので偉そうなことは言えませんが)

①大量の実物に触れる

骨董の世界でも同じような方法をとられている方がいると思いますが、自分が買う買わないは別としてとにかく本物といわれているものを手に取り細部を見て、手触りや重さ、汚れ方などを感じることです。レプリカメーカーの多くはWebや本の写真で細部を見ても、実物は見ていないことが多く厚みや重さ生地の触感など写真に写らない部分は盲点になります。匂いでわかるというコレクターの方もいますが私はまだまだその域に達していませんwww

また生地については現在入手できるものから選んで作る為、当時の生地が流通していないこともあり生地の質はどうしても妥協せざるを得ないようです。

②レプリカに触れ、出来れば実物と比較してみる

レプリカを積極的に見て、出来れば実物と比較すること現在は作れない生地や、生産工程上レプリカが真似できない部分などがわかってきます。またレプリカを作る場合、どうしたも100とか1000とか場合によってはそれ以上のロットを作らないと採算が合わないため、一度レプリカのタイプ(スタンプやラベルの内容、形状の癖)を把握しておくと同じものに出会ったときすぐに気付くことができます。

③歴史的背景や、そのアイテムの生産年、メーカー、仕様の変遷などを勉強する

装備品ですと金具の材質や、メーカー名と年代など、ありえない組み合わせでレプリカに気付くこともあります。米特殊部隊や南ベトナムなどのベレーは基本小さなサイズがほとんどで、7 1/2などの大きなサイズは何百と手にした中で数回しか見たことがありません。大きなサイズがまとまって見つかる、などの場合は不自然です。

④誰が売っているか?どのルートで流れてきたか?

上記②でも触れましたがレプリカで採算が取れるようにするには、短い期間でまとまった数を売りさばく必要があります。でないとレプリカメーカーは生産にかかった材料費や工賃が回収できず、次のレプリカが作れません(笑)。 また作ってみるとわかるのですが、完成品を置いておく倉庫代が月々発生していくのでどうしても販路を確保しておいて、完成すると素早く複数の業者に対して売りさばこうとします。これに対応できるのがバルクセラーという大ロットを仕入れて小さなショップなどに売る卸売業者のような方です。ショップがこのような卸売業者さんから買った場合レプリカの可能性が高いです。

 

アメリカのミリタリーショーやディーラー

2000年頃には私も30代になっていましたが会社の仕事の合間を縫って、というか半ば強引に休みを取ってベトナムに行っていましたが、その間もアメリカのディーラーさんとのFAXやメールでの仕入れは続いていました。ある時FAXのみでやり取りしているディーラーさんから「よかったらこっちに来てみれば?」とのお誘いをFAXでいただいて冬に東海岸のニュージャージー州のディーラーを訪ねました。(現在この方は高齢でリタイヤしていますが、先日連絡を取って昔の在庫を少しずつ買い取っています)

まずは成田からニューヨークのジョンF・ケネディ空港に13時間かけて飛び、そこで初めてレンタカーを借りフリーウェイを使ってニュージャージーへドライブしました。隣の州で地図で見るとほんの数センチなのですがアメリカの大きさが頭に入っておらず、いくら走っても到着できそうもないのでディーラさんのショップ近くのモーテルに泊まる予定がずっと手前で力尽きました。日本でいうサービスエリアのようなところで食事し、そこに隣接するモーテルに宿泊しました。

モーテルというのは平屋のビジネスホテルのようなもので、特徴は部屋の前に車を駐車できることです。メインの建物でチェックインすると指定された部屋に車で移動し荷物をそのまま部屋に入れら、車内のものを盗まれるリスクが無く、スーツケースも10歩くらいで部屋に入れられ便利でした。朝食は歩いてメインの建物に行くとパンとコーヒーバターにジャムなどが置かれていてセルフでトースターに入れて食べるスタイルで、日本の簡素なビジネスホテルの朝食に似ています。高齢のご夫婦なども一緒に朝食を食べていて、車で旅をするには経済的でいいシステムだと思いました。

ちょうどこの時日本でたちの悪い鼻風邪をひいていて、鼻水がひどく飛行機では鼻を押さえっぱなしで、アメリカについて少し良くなったかと思ったのですが今度は花粉症でまた鼻水が止まりませんでした。知らなかったのですがアメリカでも花粉症はあって、特に私の行った地域は杉が大量に植わっていたので翌朝早起きしてスーパーの薬売り場に行くとアレルギー性鼻炎の薬がたくさん並んでいました。アメリカでは花粉症と言わずだたのアレルギー(アレジー みたいな発音です)というそうです。

朝食をかなりひどい味のファストフードの中華で済ませ(エビチリのソースがタコスにつけるチリソースに砂糖を入れたような味で、ほとんど残しました)、お店のある場所を車で行ったり来たりしたのですが店舗らしきものはなく、公衆電話からディーラさんの家に電話すると奥様が電話に出て「主人はミリタリーショーに出かけていて夜まで帰ってこない」とのことでした。かなり豪快な性格の方だったのですが、まさかの展開で仕方なくその日は周辺のアウトレットやショッピングモールをうろつくことにしました。日本にも進出しているプレミアムアウトレットに行きましたが、日本よりだいぶ大きくて見たい店から他の店に移動するのに車で移動する必要がありスケールの大きさに驚きました。

夜に再度ディーラーさんの家に電話すると、彼はショーから戻ってきていました。夜の8時ころにショップの住所のポイントで待ち合わせすると、60代後半くらいの威勢の良い髭の男性が車で現れました。「すまんすまん、今夜中華料理をおごるよ」と言われ握手を交わしました。(例の朝の中華料理の件があったのと、風邪がまだ治っていなかったのでその夜の食事はお断りしましたが)

今まで気付かなかったのですが目の前にあった建物のシャッターを開けると店舗になっているようで、閉じるとただの倉庫かガレージにしか見えない造りでした。

シャッターを開けるといきなりショーウインドウが並んでいるものの、手前のいわゆるお客さんが入れるスペースは人一人分しかなく、後ろはぎっしりと物が収納されており、やはりお店というより倉庫でした。そこで1時間ほど倉庫のものを探しながら買い物し、終わったところで「明日はまたミリタリーショーがあるんだが一緒に行かないか?」と誘っていただきました。

アメリカのミリタリーショーは初めてだったので喜んで同行しました(といっても場所を指示されて翌朝そこに向かった形ですが)。翌朝早起きして車に乗ると寒さで車に霜が降りていました。会場に駐車してチケットを購入すると中は体育館の様な造りでしたが、やはりアメリカなので広さはかなりのものでおそらく300以上のブースがあったと思います。東海岸のそれほどメジャーではないショーだったので日本人は、というか外国からきているのは私だけだったと思います。特にこの世界は白人の比較的高齢の方が多いので、日本人の若者は非常に目立つらしくてあちこちから声をかけられました。しまいには初老のご婦人から「以前あなたと同じ顔をした日本人と出会ったことがある。あなたのお父様だと思う…」と真剣に話しかけられました。よくあるのですが白人と黒人とヒスパニックの方しか見ていない生活をしていると、東洋人は皆同じ顔に見えるらしいのです。余談ですが30代になってボストンの街を歩いていた時、突然現地の女学生から一緒に写真を撮らせてくれと頼まれたことがあります。これも好きなアジアの有名人と同じ顔に見えたのでしょう。

実銃やナイフ、装備、衣類、徽章などがたっぷり置いてありました。その当時は今(2022年春)と同じ円安で1ドルが130~40円ぐらいだったため、ものすごく安いというわけではありませんが、日本にはないアイテムを買うことが出来ました。ショーでは買い物袋をくれないので、買ったもの落とさないようにを抱えて歩いていると「それを売りたいのかい?」とあちこちのブースから声をかけられました。

「行けば会えるよ」と言っていたディーラはそのショーの中心部にブースを出店していていました。…というか昨日もそこに出店していたことが初めてわかりました。抱えていた荷物を見て「俺が後で日本に送ってやるよ」とのことだったので彼に商品を預けることが出来ました。この頃はアメリカから日本への航空貨物の運賃が安く今(2022年)の半分以下でした。

さらに歩いていると非常にマニアックな品揃えの軍用ナイフのブースがあり、落ち着いた感じの出店者の方から「日本から来たの?」と声をかけられました。大きな本を片手に持っており「この本を日本でも出版するからよろしくね」と言われました。その方はホーマー・ブレットさんで本は「世界の軍用ナイフ」でした。その後日本でこの本を買いましたがバヨネットからナイフまで世界中のメジャーなものはほぼ網羅されていてすごい本でした。

結局この時のニューヨーク、ニュージャージーの旅は大きな収穫は無く、段ボール1箱くらいのアイテムを買い付けただけで終わりました。

オーストラリアからの仕入れ

この頃には、サムズさんのビクトリーショーには毎回出店させていただいていましたし、ブラックホールショーにも出店することがありました。

当時オーストラリアのディーラーさんとメールでやり取りをはじめ、初めにオーストラリア軍のメッシュスカーフとレインコート、ポーチなどを1点ずつ通販で送ってもらいました。それが届くまでに当時2~3週間かかり、しかも最初は住所記載ミスで送り返されたので1か月半かかってようやく商品が届きました。届いてびっくりで、泥の中で使ってそのまま乾かしたような状態でした。早速バケツにすべてを入れて何度も水を流してきれいにしていきました。おそらく軍の放出品が余っていたようで、安価で大量に勧めてもらったのでまとめ買いして当時のビクトリーショーやブラックボールに持って行って販売していました。

 

だいぶだらだらと長くなってしまいました。ほんとに見てくれている方がいるのかな?見てくれている方いたら いいね、か コメントください。元気が出ます(笑)