2020
09.14

アメリカのサープラスショップ(全盛期と今)

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About us の自己紹介のところにも書いていますが、私がアメリカのサープラスショップ(軍払い下げ店でARMY NAVYストアと呼びます)を初めて訪れた1970年代には、店は実物の払い下げ軍用品であふれかえっていました。価格も安く、それぞれの街に複数の大型店があり、店に勢いが感じられました。
1990年代前半にも、扱っている品物の年代は違うものの、実物を扱う店が多かったです。
おそらく90年代中盤ぐらいに流れが変わったと思います。まず店の数が減り、扱う品物にレプリカが混じりだしました。また民生品のミリタリーっぽいものやキャンプ用品などのアウトドア用品が店の一部分に置かれ、その面積がどんどん増えて、実物軍装品の割合がどんどん減っていきました。
そして店や業態の勢いが無くなっていったと思います。

私なりに、現場で感じてきたアメリカのサープラス業界の動きを少しずつ書いていきたいと思います。
日本のサープラス業界にも一部通ずるものがあるかもしれません。

1970~90年代には下の写真のような大通りに面したロードサイド店がいたるところにありました。店の中にはヘルメット、弾薬箱、ブーツ、衣類、テント、折り畳みベッド、ジェリ缶などの大物が所狭しと置かれており物であふれかえっていました。

大量に同じものが放出されるので、店側のとにかく在庫をさばかないと店のスペースがない、ということで装備に直接で1.95とか2.00などの恐ろしく安い価格が書かれたものが売られていました。今では同じものが、軽く10倍~20倍の値段ですが、当時はそんな想像は誰もできなかったと思います。

   

当時のメールオーダー広告

このようなショップは、実際に政府の払い下げ品を入札でまとめて買い取る方法で商品を仕入れていました。第2次大戦の余剰物資は大量で1970年頃まで払い下げが行われ、その後1970年代からの特需?でベトナム戦争の余剰物資が続き、1990年頃まで膨大な米軍払い下げ品が尽きることはありませんでした。日本でも中田商店さんを筆頭に、沖縄のアメリカ屋さんや東京のファントムさんなど1980年代末まではまだデッドストックの2次大戦やベトナム装備が売られていたと思います。

その後はアメリカが参戦する大きな戦争が無く、ウッドランド迷彩やLC1,LC2装備などがサープラスショップの店頭に並びましたが総量はぐっと減りました。
1990年代に入ると、サープラスショップとは名前だけで実際に売っているのはミリタリータイプと呼ばれるミリタリー調の衣類やブーツ・バッグ、アウトドアグッズ、ペイントボールガンやエアソフトガンなどになり、実際の払下げ品は全体の2~3割という店が増えてきました。ロードサイドの大規模店はだんだんと閉店して行きました。
大きな戦争がなくなると、軍は装備品を計画的に調達、支給できるようになりいわゆる余剰が減ります。また元々の衣類や装備品の生産量がベトナム戦争のようにのべ270万人もの派兵を行う場合とは桁が違ってきています。

さらに1990年代後半からアメリカ国内の払下げ品の入札制度が、指定業者制からWEB入札制に変わり一般の小規模入札者が増えたことでサープラスショップが独占的に仕入れることができなくなった、というのも大きな原因で元軍人の頑固親父がかたくなに実物のサープラス品のみを扱う、といった店はだんだんと閉店していきました。

日本のサープラスショップの場合は、在日米軍からの払下げ入札中心のショップと、アメリカなどからの輸入中心のショップに分かれますが上記の潮流がアメリカより10年~20年くらい遅れて動いていると思います。

久しぶりに関西から東京に戻って、私が小学生から中学生のころ通っていたショップを週末めぐっています。放出品がそれこそ山積みになっていたお店も、1980年代以前の実物はだいぶ減り、価格も気軽に買える値段では無くなってきていますね。

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