2023
03.23
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WW2 米海兵隊 USMCヘルメットカバーについて
海兵隊が迷彩ヘルメットカバーを採用したのは1942年9月です。 下記の通り当時の詳細な仕様書及び図面が残っており、それによれば、スリット(草などを差し込む穴)は1インチの長さで本体(正式名crown)に16、フラップに6の計22箇所に入れることが指定されています。 書類の頭に1942年9月17日の日付が入っています。スリット無しの方の仕様書というものは発見されていません。
大きく分けて ・スリットがない ・本体のみにスリットがある ・本体・フラップにスリットがあり の3つの形状があるのは知られています。、私は初期がスリット無し、後期がスリットあり、とよくアメリカのディーラーから聞かされていましたが本当にそうなのでしょうか?
1942年9月17日に正式採用されたUSMC迷彩ヘルメットカバー支給後の現存する最も初期に写された写真と思われる画像です。 画像では、ヘルメットカバーにスリットがあるかどうか判然としません。 原版写真の裏に貼られたキャプションによれば、ノースカロライナ州のニューリバーの「USMCパラシュートスクール」で、1942年11月、近接格闘で敵を無力化するための方法を学ぶ生徒達を写した写真とのことです。 持っているナイフは1942年からカミラスが納入開始したレイダースティレットと思われます。 そこで原版のヘルメットの部分を拡大してみると、このようにスリット付きであることが確認できます。
迷彩ヘルメットカバーが、海兵隊の部隊に全面支給されて初の作戦と思われる1943年11月のブーゲンビル島上陸作戦の第2海兵師団の写真です。LIFEのカメラマンが取材し、当時のLIFE誌に特集されました。 海兵隊員のM1ライフル発射の瞬間を捉えた写真で、右上に空中を舞う空薬きょうが写っています。ヘルメットカバーにスリットが入っていることがはっきりと確認できます。 ベルトや水筒カバーは明るいカーキ色がジャングルでは目立つことから、ダークグリーンに染められているのではないかと思われます。最初期のP1941ハバーサックを黒いインクで染められたものなどもあるそうです。 話がずれますが、水筒カバーは一見陸軍のものに見えますが、よく見るとハンガーの位置が最上部に付けられており、P1(海兵隊ファーストパターン)を採用する前のP1912であることがわかります。 珍しい1912カバーです。フラップ裏にUSMCのスタンプが見えます。 日本のコレクターがお持ちのコレクションで、構造は裏にフェルト入りの陸軍と全く同じです。写真のとおりベルト用ハンガーが最上部に付けれていることが特徴です。
将校団の作戦会議の模様ですが、ヘルメットカバーは拡大すると全てスリット入りです。 興味深いのは、左端の将校の迷彩服。パラマリンのスモックかと思えますが、実は、1ピースのジャングルスーツの背中にパラマリン用迷彩ズボンの尻ポケットを張り付けたものです。 ポケットの部分と周りの色調が異なるのがわかります。 スコップは、空挺用に柄を短くしたタイプ。M1カービンのスリングは、M1ライフル用の皮スリングを付けています。
斜め前から撮られた写真もあるのですが、迷彩服の襟に金属製のEGA襟章を付けており、かなりの目立ちたがり屋のようです。 中央の将校のベルトは、ダークグリーンに染められたM1912です。 右隣の将校の水筒カバーにはUSMCのスタンプがあるように見えますが、P1912にUSMCスタンプ入りはないし、ハンガー位置が高いので陸軍用には思えないし、謎です・・・自分で書いたのかな?とおもわれます。 右端の将校の水筒カバーは、採用されて間もないP1(P2)のようです。
1944年2月、クェゼリン上陸作戦時のロイ・ナムール島で撮影された写真です。 手前の兵士がスリット無し、奥の兵士がスリット入りのヘルメットカバーを着用していることがわかります。この頃からスリット無しがちらほら現れます。 手前の兵士がサスペンダーを前後逆につけているのがおもしろいですね。 奥のM1カービンにはM8グレネードランチャーがついています。 塹壕やトーチカに潜む日本軍に対しての対策だったのかもしれません。
WW2当時のヘルメットカバーにスリットがついているか、ついていないかの判断は、結局のところ、当時の写真や映像で判断するしかありませんが 長さが1インチで、多くの場合、実用として殆ど使われずスリットが開いていないこと、スリットが迷彩の模様に隠れやすいこと、規定通りの装着方法なら、ヘルメットのやや上部に平行に並んでスリットが確認できますが、 実際は、前や後ろ、横にに大きくずれて装着している例も多く、スリットが大きくずれて確認しずらいことなどで、よほど大きな写真でない限り、確認は困難を極めます。 冒頭に書いた通り、導入当初は、スリット入りで生産が開始されたものの、戦線拡大により多数の海兵隊員導入に伴うメーカーの生産能力を超える大量の発注を受けて、 緊急避難的にスリットを省略した迷彩ヘルメットカバーが支給されることになったというのが正解に近いのではないかと思います。 大量に生産されたはずのスリット入りの現存数がスリット無しに比べて極めてに少ないのも導入初期から中期にかけて使い果たしてしまったということだと思います。 WW2の余剰品は朝鮮戦争で使用されましたが、使用された迷彩ヘルメットカバーの多くは前面にEGAスタンプが押されており、WW2コレクターにとって価値を下げる要因になっています。
※このテーマは私にはかなり荷が重く、手を付けていなかったのですが豊富な知識をお持ちのコレクターの方に協力頂き、記事を作ることにしました。
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