2019
08.27

ベトナムジッポー(実物の当時のZippo)

Vietnam

先日雑誌でビンテージ好きの有名人の方が苦労して入手したベトナムジッポーのコレクションを紹介していましたが、私は5個のうち4個は1990年代以降に彫られたものと思いました。

私がベトナムに仕入れに行き始めたのが1990年代末で、その頃観光でベトナムに行く人はほぼいませんでした。日本からの飛行機も航空会社系の人やエビの輸入のために行く水産加工会社の人など、出張の方がほとんどでした。

その頃はまだ本物のベトナムジッポーが売られていましたが、すでにレプリカも出回っていました。ありえない年代や部隊、強烈に深い彫り、無理やり塗装を剥げさせたり参加させた処理などいろいろなバリエーションのレプリカがありました。今はベトナムで本物を買うのはほぼ不可能なので、逆にZippo以外のブランドの物で本物と思われるものを買ってきます。一番確実なのは、アメリカから実際の従軍者(ベテランと呼ばれます)の持っていたものを買う方法です。そのようにして入手したものを中心に紹介していきます。兵士が出征前にアメリカ本国で買ったもの、途中の中継地(日本など)PXで買ったもの。ベトナムのPXで買ったもの、なども多く今流通している派手なエンブレムやグロテスクな詩が入ったものはそれほど多くありません。

※PXについては別記事で紹介しますが、基地にある売店のようなものです。といっても日用品から軍用品までそろう巨大なスーパーマーケットのようなもので、基地によっては店員が何十人もいる規模です。基地の外に米軍専用デパートとして設置されることもあります。

こちらはアメリカの第9師団のベテランから買ったライターです。

左はZippo社のもの、右は当時日本でZippoを模して作られたBest Everブランドのものです。(クオリティーは高く、当時のPXで売られたいたものも多くはこのような日本や韓国製のライターだったそうです)

戦争後半の1970~71年にベトナムツアーに参加した兵士のものです。ベトナム南部のMy Thoからさらにメコン川をさかのぼったDong Tamの基地設備を担当した第41工兵中隊の兵士のものです。このエリアは第4軍管区にあたり歩兵師団でいうと第9師団の管轄でした。名前の間にあるBig Redが第1歩兵師団の愛称Big Red Oneからきているものなのかは不明です。製造コードは1969年、裏の詩は「陸軍に入りということはコムをはめているようなものだ。突っ込んでいる間も安全な感じがする」というような意味です。全体に薄い彫りです。

バッジが貼り付けてあるものは偽物が多いのですが、こちらは当時の第9歩兵師団モバイルリバラインフォースの従軍者から入手した実物です。コンバットメディカルバッジ(歩兵戦闘章の衛生兵版で実戦に参加したものに授与されます)が付いており、底の製造コードは1963年のものです。1968年の年号が彫られており第9メディカルバタリオン(第9歩兵師団所属)の67年頃の駐留地ベアキャットと68年以降の駐留地ドンタムの地名があります。詩の部分は「俺に必要なもの…遺書、薬、SAIGONティー、売春婦」と書かれています。

アメリカの友人が探してくれたもので、ボトムのマークは68年のものです。Billという名前と、当時のテト攻勢の激戦地クアンチと年代、よくあるフレーズが彫られています。テンプレートの溝に沿って彫られたものです。

こちらは彫りがありませんが海兵隊ので販売されていたものと思われます。小さいメダリオンが取り付けられていて、こちらの海軍(錨にUSNのメダリオン)も以前扱ったことがあります。1971年製

珍しいUSCG(米沿岸警備隊)のZippoです。彫りではなくエッチングという処理でエンブレムが入れられています。このライターはボトムスタンプが読みにくいのですが1962年のようです。沿岸警備隊がベトナムの海上任務に投入されたのは1965年ですのでぞれ以前のライターです。コーストガードにも基地にPX(売店)がありますので、そこで販売されていたものと思われます。アメリカで入手しました。

こちらは細身のスリムタイプです。1969年のライターで、小さなUSARV(在ベトナム米陸軍)の七宝焼きのエンブレムがつけられています。よく見るとさらに細かい字でVIET NAMの文字が入っています。このバッジは当時の日本で製作されたものと思われ、ライター自体も日本のPX(売店)でベトナムに向かう兵士向けに売られたものと思われます。

プレーン(彫りのないもの)です。ベトナムでは彫りを加えて売るので、プレーンのものは高く買い取ってもらえます笑

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